ウフギー自然館

山と海に囲まれたやんばるの人々の暮らし

海と山に囲まれたやんばる地域の集落の人々は、どのように暮らしてきたのでしょうか。
現在も息づく伝統文化などから、やんばる地域の歴史・文化のすがたを垣間見ることができます。

伝統的な祭祀 集落の土地利用 やんばる船
 
山での生業 共同店  

自然の恵みへの感謝 〜祭りと行事〜

海と山に囲まれているやんばる地域の集落では、海と山を一体として捉え、その自然の恵みに感謝しながら日々の生活が営まれており、そのような生活文化が色濃く残っています。集落から邪気を払い、豊作・豊漁を祈願する古くからの祭りが今でも数多く行われています。
最も重要な旧盆前後の祭には、山の神へ豊作を祈願するシヌグ、海の神へ豊漁を祈願するウンガミ・ウンジャミ(海神祭)などがあり、集落ごとに行われています。国頭村安田区のシヌグ(旧盆前の亥の日)や、大宜味村塩屋湾のウンガミ(旧盆後の亥の日)は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

国頭村・安田のシヌグ 大宜味村・塩屋湾のウンガミ

合理的な土地利用 〜伝統的な集落景観〜

やんばる地域の集落は、一つの川を軸として海に面していて、隣の集落とは山で隔てられています。土地利用は、集落を中心として同心円状に耕地、薪炭利用区域、建築材利用地域と、合理的に使い分けていて、源流部はあまり手を入れずに守ってきました。集落内には、家屋を台風や潮害から守るために維持されてきた、サンゴ石灰岩の石垣やフクギの防風林などの伝統的な集落景観が残っています。また、畑と山の間にはリュウキュウイノシシの被害を防ぐために累々と築かれた猪垣(いのがき)が、今も残されています。
集落の前に広がるサンゴ礁の浅瀬はイノー(礁池)と呼ばれ、住民が海藻や貝をとったり、魚やタコをとったりして暮らしの糧としてきた、いわば「海の畑」とも言える生活の場です。

集落の景観 集落の土地利用
(参考資料;平成10年度やんばる地域自然環境保全活用基本計画検討調査報告書)
家の周りのフクギ並木 今も残る猪垣(いのがき)

盛んだった海上交通 〜やんばる船〜

やんばる地域は、琉球王府時代から近年まで、その豊かな森林自然を活かして、薪炭材や建築用材となる木材の供給地として重要な役割を果たしていました。道路が整備される前の昭和に入るまでは海上輸送が盛んで、沖縄島中南部との間で「やんばる船」による交易が盛んに行われました。
やんばる船は、周辺の離島に寄港しながら、那覇や首里などの都市に薪炭や建築材を運び、逆にやんばる地域に生活必需品などを運んでいました。

やんばる船
(琉球山原船水運の展開 池野茂 
1994年 ロマン書房)
やんばる船航路明治30年頃のやんばる船の港と航路
(挿絵で見る昭和初期のおきなわ) 
石田磨柱 昭和63年

山での生業(なりわい) 〜炭焼きや藍染〜

かつてやんばるの山には、ゆるやかな斜面を背にした炭焼き窯がたくさんありました。山の中で焼かれた炭は、人力や馬車で集積場に運び出された後、やんばる船を利用して中南部へ運ばれて行きました。山での生業としては、炭焼きのほかに、琉球藍(リュウキュウアイという植物を加工して得られる染料)や樟脳(クスノキを原料にして製造された、衣類の防虫剤などの原料)の生産が盛んだったそうです。現在でも、これらの山での生業(なりわい)の跡が残っています。

炭焼き釜跡 藍壺跡

集落単位の団結で運営 〜共同店〜

やんばる地域の集落では、生活を守るための手段として、集落単位の団結による生産物の共同販売、日用品の共同購入を主な目的とした、共同店が営まれてきました。その先駆けとしての役割を果たしたのが国頭村奥集落の共同店です。道路がなく他の地区から孤立していたという事情からくる、生活の知恵といえます。

奥共同店